年別アーカイブ: 2010年
信濃の国
2010年4月21日 ぞめき(徳島新聞 夕刊 コラム)里山エッセイ
4月の始め久しぶりに故郷に帰り温泉行(こう)となった。 訪れた赤倉温泉はまだ班(はだら)の雪景色、 聳え立つ黒姫山も妙高山も雪化粧だった。 実家は、俳人小林一茶がよく往き来したといわれる北国街道筋にある。 山路にかかると …
羊と樅(もみ)の木の歌 ― ルーマニアの音楽家
2010年4月12日 ぞめき(徳島新聞 夕刊 コラム)里山エッセイ
みやこうせい「ルーマニア民俗写真展」より 45年前、シベリア鉄道でモスクワに行き、 それからパリに向けて旅立ったみやこうせいさんは、 その途中、ルーマニアの国境の駅に降り立った。 そしてラテン系の血の騒ぐ、 あるいは奔流 …
思いの至りて
2010年4月6日 ぞめき(徳島新聞 夕刊 コラム)里山エッセイ
再び忘れ得ぬ日が来た。 2010年3月23日、大地を潤す春の雨がお堰の上にも降っていた。 「可動堰はあり得ない。」 「現堰はどうすれば保存できるか調査にかかる。」 と断言した前原大臣の声をお堰はどんな思いで聞いたろう。 …
吉野川の未来を開く ― 可動堰計画中止
2010年3月27日 ぞめき(徳島新聞 夕刊 コラム)里山エッセイ
吉野川第十堰の可動堰計画が中止となった。 23日、前原国交大臣は、徳島の市民団体のメンバーらと会談し、 第十堰の可動堰化計画について、「可動堰は選択肢にない」と表明した。 2000年1月の徳島市の住民投票で、 9割以上の …
賢いということ
2010年3月20日 ぞめき(徳島新聞 夕刊 コラム)里山エッセイ
雨のよく降る今春は、霞む山の端が毎日違って見えて楽しい。 楽しみながら、便利便利の生活に潜んでいる落とし穴と、 その穴から抜け出す智恵の生活と、どちらが賢いかということを考えている。 ガウスネット(高圧線問題全国ネットワ …
つげ義春の青春
2010年3月12日 ぞめき(徳島新聞 夕刊 コラム)里山エッセイ
つげ義春さんのマンガで忘れられないシーンがある。 その最後のシーンだけが記憶に残っているのだ。 途中は忘れてしまっている。どんなストーリーだったっけ。 少年が一人で仕事をしている。 町工場の片すみで。 子供のころ、普通に …
あるじなしとて春な忘れそ
2010年3月6日 ぞめき(徳島新聞 夕刊 コラム)里山エッセイ
梅の思い出リレー。 学校帰りに近道を 通ってみればどこからか ほんのり匂う梅の花 田んぼのあぜ道をとんとん走った近道、 横丁を曲がってひなびた家並に出くわした近道。 思い切り走ったお墓のある近道。 背中のランドセルがカタ …
『葬送』 ― ショパン生誕200年
2010年2月25日 ぞめき(徳島新聞 夕刊 コラム)里山エッセイ
「その美質は、奏でられる調べの一音々々から馥郁(ふくいく)と立ち昇って 客席のすべての人間を恍惚とさせた。 胸を締めつけるような憂鬱も、寂寥(せきりょう)も、悲哀も、 どの一つを取ってみてもそうした薫りを帯びていないもの …
ハンミョウの道教え
2010年2月18日 ぞめき(徳島新聞 夕刊 コラム)里山エッセイ
風のそよぎや流れる雲に、水ぬるむ川面に、 くりくり目玉のメジロにと遠近春はやって来る。 自然の移りは正直、今日は明日へ、 明日はあさってへと寒暖取り混ぜ変身一途。 いのちみなぎり、いのち張る「春」。生物の多様性を語るには …
萩焼そして髙橋和三郎展
2010年2月9日 ぞめき(徳島新聞 夕刊 コラム)里山エッセイ
髙橋和三郎 作 「青藍天目釉流水鎬文壺」 “萩の七化け”という。 お正月に山口県萩で求めた大振りの萩焼茶碗に、たっぷりと煎茶を入れて飲む。 うす雪を散らしたような白い釉薬に、貫入模様が表れ、それが日ごとに増していく。 萩 …