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吉野川第十堰の可動堰計画が中止となった。

23日、前原国交大臣は、徳島の市民団体のメンバーらと会談し、
第十堰の可動堰化計画について、「可動堰は選択肢にない」と表明した。

2000年1月の徳島市の住民投票で、
9割以上の人が可動堰建設に反対の意思表示をし、
その結果可動堰計画は「白紙」となっていた。
その後10年の歳月を経て、やっと事実上の「中止」が決まったのである。
住民投票の数年前、可動堰計画のことを知った私は、
仲間とともに「吉野川の未来を考える建築設計者の会」を立ち上げた。

市民に対して、巨大な可動堰(ダム)が計画されていること、
それが完成すると吉野川の風景が
致命的なダメージを受けてしまうことを知らせることが、
建築家の大切な使命であると感じたからである。

100人以上の建築家の名前を連ねての建設大臣への計画見直しの要望書の提出。
徳島市議会への住民投票条例請求の署名集め。
議会の構成を変えるための市議会選挙。
住民投票条例の可決。そして2000年1月の住民投票。・・・。

これ程まで市民のエネルギーをつかわせる行政、議会とはいったい何なのか、
と素朴な怒りを感じたのであった。

しかし、歴史家の網野善彦さんは、
自身が監修した「日本の歴史全二十六巻」のプロローグ“日本とは何か”の中で
次のように述べている。

吉野川の住民投票は、開発、前進することに疑いを持たなかった人類が、
思慮深く、知恵のある生き方へと変わっていくひとつの芽生えであり、
歴史に対する見方を大きく変えるきっかけになったのだと。

その住民投票から10年。
この1月23日に「10年目の123―10万人の意思をかたちに」という
千人規模の市民の集りが開かれた。そのお世話人をつとめた私は、
10年前から宙ぶらりんになっている市民の意思をどうしても実現させなければ、と
思い定めたのであった。

3月8日、前原国交大臣への要望書提出。
そして23日の前原大臣の「中止」表明。

「やっと届いた」。
そして吉野川の風景をぎりぎりのところで守ることができた。正直な感想である。

時代はゆっくりではあるが、確かに変わりつつある。
いや市民の力で変えることができるのだと思う。

私たち徳島の市民は胸を張っていいであろう。
住民投票と、その後のしなやかでねばり強い活動によって、
時代の重い扉を押し開いたのである。

建築家 野口政司   2010年 3月 27日(土) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より