言葉が与えられることによって、それまで気に留めなかったものがキラキラと輝き始めます。
『里山』という言葉に、私はそんな不思議な力を感じるのです。
子供のころから当たり前のように接し、生活してきた風景が、『里山』という言葉を得たことによって、より普遍性をもち、魅力があるものと感じるようになるのです。
この言葉の生みの親は、日本の森林生態学の草分けであった四手井綱英(しでいつなひで)さんです。
四手井さんは、母校京大の農学部で教えるようになった1954年、それまで「造林学」といっていた講座を「森林生態学」に改めました。
人間が主体となり森を管理することから、木々や多様な生物が共生する森へ、とのイメージの転換でした。
四手井さんは、1960年代に『里山』という概念を提案します。
農山村の人たちが薪を採取するなどしていた生活を支える近くの山を『里山』と名付けたのです。
「奥山」や「山里」という言葉はそれまでもありましたが、『里山』は四手井さんが生み出した言葉です。
今では広辞苑にも載っていて、「人里近くにあって、その土地に住んでいる人々のくらしと密接に結びついている山・森林」と説明されています。
四手井さんは、人と植物、生きものたちとの共生ワールドであり、日本の原風景ともいえる『里山』の豊かさ、その重要性に一早く気付きました。
そして、その保全に向けての取組みを提案していきます。
地球規模での環境悪化や生物多様性の危機が叫ばれている今、もう一度四手井さんの思想を見直し、『里山』という言葉に込められた、人と自然が共生していくことの大切さとその思いの深さについて学ぶべきでしょう。
さて、私たちは自分たちのNPO活動を始めるに当たって、その会に『里山の風景をつくる会』と名付けました。
その名の由来となったのは、吉野川源流域にある高知県土佐町の棚田でした。
吉野川源流ツアーで訪れた土佐町の棚田は、人と植物、生きものたちの共生ワールドである『里山』そのものでした。
田んぼにはイモリやザリガニ、アメンボなどたくさんの水生の生きものがあふれ、水源から流れ出たきれいな水とあふれるような陽光にイネは美しく緑色に輝いています。
人と自然が共生している風景が眼下に広がっているのです。
吉野川の上下流の流域を結ぶ活動をしようとしていた私たちは、この棚田の風景に大きなサジェッションとエネルギーをもらったのでした。
吉野川源流域の棚田のお米(源流米)を流域に住む人たちが食べ、その棚田の風景を守る。里山の風景を守るためにお米を食べる。
そんな時代がもう始まっているのです。
そして源流の森の木をつかって町に家や家具をつくることは、循環の森を保全すること。それは“まちに森をつくる”ことでもあります。
源流の森の木と自然素材でできた家は、身体と心にやさしい家。そして風景に花を咲かせる家でもあります。
その家を私たちは『里山の家』と名付けました。
自然と共生する棚田から学んだ自然循環型の『里山の家』を建てることは、町に『里山の風景』をつくっていくことでもあるのです。
NPO里山の風景をつくる会 理事
建築家 野口 政司