「銅の鳥居のお地蔵さんこちら→」土手の上に妙な看板が立っている。
文化の森近い土手上の道、車がびゅんびゅん通り、
パワーショベルやダンプが出入りする。
法花トンネルも山肌に風穴よろしく開通、
この辺りの余りの変りようには、つい固く目をつむってしまいたくなるのだが、
今日は看板につられて思わず知らず→の先をたどると・・・
いましたいました丸々坊主をお日さまに照らされて
コンクリ-トの台座の上にお地蔵さん2体。
ぜひ訳を聞かねばならぬ。
園瀬橋たもとの、150年続いたという元晒し屋の中野正治さんを訪ねた。
煙突のある古い晒し工場の建物はつい最近まで残っていて、
石垣を組んだ疎水でつながれていた。
風車も回っていそうなきれいな疎水だったから
私はいつもバス待つ間見とれていたものだ。
今は園瀬橋付け替え工事によって建て屋は跡形もなくなり、
疎水ばかりが往時を偲ばせている。
同時に土手上のお地蔵さん、お邪魔さんになってひとまず避難となったらしい。
このお地蔵さん、背中に「寛延」の文字がある。
今から270年前の江戸中期の年号で3年間と短い。
その時どこにおられたかは定かでない。
丸めた両の手に宝珠を抱え優しいお顔。
中野さんがもの心ついた昭和の始めには煉瓦作りのお家に住んで土手の上に、
その後園瀬橋の改築や文化の森工事で、
土手の中腹に下ろされて30年、裸のままで雨風が冷たかったよ、夏は暑かったよ。
また移され昨年までコンクリ-トの囲い舎に入って土手上におられた。
人間の都合に合わせて上に下にと引き回し。
万物を生じさせる大「地」のように偉大な効力を「蔵」するお地蔵さん。
観音さまと同じく現世利益に権現新たか、
おまけに衆生の罪を救いあの世の人との交感も果たすというのだから
地蔵信仰は庶民の間に広がった。
村の入り口に、町のかどに、田畑のすみに、
峠の頂上にいずこにもおられて私たちの生活に溶け込んでいる。
もう手を合わす人もまれと中野さんは嘆かれたが、
人の世の栄枯盛衰見続けて今また大荒れのこの世情、
お地蔵さんの感想聞きたいものだ。
里山の風景をつくる会 理事
地球温暖化を考える-市民アクション2010-徳島代表 八木正江
2010年 6月 11日(金) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より