詩人の立原道造の最後の言葉は、
「五月のそよ風をゼリーにしてもってきてください」であったという。
風の詩人、立原道造らしい逸話である。

五月の風をおねだりした道造であったが、
かなわず昭和14年3月29日、24歳の若さで亡くなっている。

立原道造は、詩人であるとともに建築家でもあった。
東京帝大建築学科では丹下健三の1年先輩である。
3年生のときにこんな随筆を書いている。

「いま、『人生(ダス・ベーレン)』をひとつの中空のボールとして考へよう。
そのボールに就て、エッセイと住宅は次のように触れ合ってゐると考へられはしないか。
住宅する精神は、ボールの表面を包み、
エッセイする精神は、中空のボールの内部の凹状空間の表面を包まうとする、と。」
(「住宅・エッセイ」)

そして住宅設計の名手であり歌人でもあった堀口捨己の
「烏口の穂先に思ひひそめては磨ぐ日静かに雪は降りけり」という短歌を取り上げ、
室生犀星自身が計画し建てた随筆そのままの味わいの犀星の別荘のことが紹介されている。

丹下健三が国家プロジェクトなどの大建築を手がけたのに比べ、
立原道造は住宅建築家であった。
自身の週末ハウスであるヒアシンスハウス(風信子荘)では、
50以上の計画案が残されている。
その未完に終わったヒアシンスハウスを完成させようと有志が集まり、
道造が望んださいたま市の別所沼公園の中に、
60余年の時を経て平成16年春に竣工している。
5坪に満たない小さな家であるが、立原道造が思い描いた夢がかたちになっている。

「僕は窓がひとつ欲しい。あまり大きくしてはいけない。
そして外に鎧戸、うちにはレースのカーテンを持ってなくてはいけない。
ガラスは美しい磨きで外の景色がすこしでも歪んではいけない・・・」
(立原道造「鉛筆・ネクタイ・窓」)

わずか床面積14.32㎡(4.3坪)の中に小宇宙を構想することのできた建築家立原道造を、
今あらためて思い起こすべきではないだろうか、と私は思うのである。

さて6年間にわたって書かせていただいた「ぞめき」のエッセイも今日が最後です。
本業である住宅などの設計をしながら、
このコラムにもその時その時の思いをつづらせていただいた。
「五月のそよ風」には及ばないかもしれないけれども、
何らかのいみじさ、懐かしさを感じていただけたなら、これ以上の喜びはありません。