NPO法人吉野川みんなの会の最後の総会に出席した。
白熱した議論が展開して様々の思いが交錯した。
解散と知った瞬間には余りの唐突さに愕然とし、
多くの市民活動を生んだ親がかわいいわが子を見捨てるような、無責任な・・・
と激しく抵抗したが、今は、これが最善の選択だったと思えるようになっている。

いつもは忘れているけれど、ふと気づいたら、いつも自分たちのそばにいて、
自分たちを駆り立てる指針搭でもあった吉野川みんなの会。
始まりの理由がきっきりしていた。「住民投票の民意を実現させよう!」と。
そして終りの理由がはっきりしていた。「可動堰は中止となり民意は実現した」と。
吉野川みんなの会は国をも動かした。
だから当然の成り行きだったと思う。

今日まで吉野川みんなの会が果たした社会的意義は計り知れない。
一つ、可動堰に代わる住民案をつくる
一つ、吉野川と子どもをつなぐ
一つ、吉野川の流域圏をつなぐ

これらの目的の下に第十堰保全と緑のダム構想を含む代替案がまとめられた。
400人にも及ぶ川ガキたちが全国に巣立ち、川と人とのつながりを取り戻した。
若者がお堰の家に集い、学校と結んだ環境教育も育ちつつある。
流域単位で川づくりをするNPO等多様な活動も生まれた。
シンポジウム、勉強会、川遊び、自然教室、数々の意見書、
河川整備計画への強い要請、途絶えることなく活動が展開され、
あの時、この時、あの人、この人が走馬灯のように駈け回る。

紹介された幾つかの動きから、もうそこに新しい風が吹きはじめている事を知る。
岩屋隆夫(水利水調査会主宰)、立石恵嗣(元県立文書館長)のお2人を迎えて、
6月6日にシンポジウム「吉野川の治水史を探る」
-吉野川に明治近代化がやってきた-が開かれる。
10年目の123を受けて加藤登紀子コンサ-トが10月4日に決まった。
若者の川遊び部が動いている。程なく吉野川流域元気基金(仮)も設立される。

吉野川が100年、200年、1000年の時を流れ続けるように、
活動もまた生き続ける。
見据えるべきは1000年の先、馳せるべき夢は未来の吉野川。

吉野川はみんなのもの。

万感の思いを込めて ありがとう 吉野川みんなの会。

里山の風景をつくる会 理事
地球温暖化を考える-市民アクション2010-徳島代表  八木正江
2010年 5月 26日(水) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より