実は、である。前回の信州賛歌に反論が。
「故郷とはそういうものであるらしい」と書いたら、そういうものとはどういうもの?と。
良く見えている部分だけを心情的に書いても事実が伝わらない、と。
確かに。故郷には心痛む事柄もたくさんある。
その一つ。
田中康夫前長野県知事が就任してすぐ発表した「脱ダム宣言」により、
淺川ダムもその対象となった。
淺川は小学校の裏を流れていた川だ! 一挙に時がタイムスリップした。
毎日川原に下りて遊んだ川、小さな手のひらにきらきら輝いていた宝物の石ころ。
魔法使いになったような気分まで蘇る。
レンゲ畑が続く風景と、桜咲く校庭と、古い木造の校舎と、
走り回った長い廊下も目に浮かんだ。
いつ頃からだろう、
帰省して見る淺川は三面張りのコンクリ-トでがちがちに固められていた。
両岸は自然の石垣風に工夫されているが、
逆にそれが人工物であることを意識させてしまう。
「暴れ天井川」の別名をもつ淺川だから特に下流域は度々の洪水に悩まされ、
流量確保のために川底を深くしたと言うのだがもう下りるどころではなく、
川のたたずまいはよそよそしい。
淺川は源流を飯綱山に発し
長野市北部を流れて千曲川に合流する全長17キロの中小河川。
山腹は昔から有数の地すべり地帯でダム建設は危険と専門家。
そして洪水の原因は内水災害でありダム建設では解決しないとも言われている。
「・・・縦しんば、河川改修費用がダム建設よりも多額になろうとも、
100年、200年先の我々の子孫にのこす資産としての
河川・湖沼の価値を重視したい・・・」(「脱ダム宣言」より)、
公共事業のあり方に嚆矢(こうし)を放った名宣言だったが・・・。
新聞報道によれば、くすぶり続けたこのダム計画、
知事の交替と同時に「脱・脱ダム宣言」とかでまたまた復活、
とうとう今年3月県議会はダム予算を通過させ、即座に知事は工事を発注したという。
どんなにすばらしい宣言でも”トップが変われば“豹変”の憂き目は、
わが徳島でも経験済み、淺川の話はとても他人事とは思えない。
他山の石はどこにもごろごろ。
正論を確実に実現させるにはどうしたらいい?
里山の風景をつくる会 理事
地球温暖化を考える-市民アクション2010-徳島代表 八木正江
2010年 5月 11日(火) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より