どこまでも続く梅の花が満開だった。

奈良県月ケ瀬村の梅林、はるか昔の記憶の底にその美しい風景が蘇る。
高山ダム建設のためにやがてダムに沈む村と聞き訪ねたのであった。
昭和35年、全国的にダム建設が上昇気流に乗り始めた頃のことである。
八ッ場ダム計画もそんな古い時代からの遺物なのだと改めて思う。

「八ッ場ダムをストップさせる埼玉の会代表」藤永知子さんの講演会があった。
政権交替と共に宣言された八ッ場と川辺川ダム中止の報に
私たちは快哉を叫んだのだが、
どうしてどうしてその後の波紋は大きく、解決への道筋は見えていない。
埼玉で中心メンバ-として活動を続けて来られた藤永さん、
八ッ場の厳しい現実を切々と語ってくれた。

八ッ場ダムは、6都県にわたる首都圏最後の巨大ダム計画と言われ、
時の政権に翻弄され続けた。
半世紀に及ぶ歳月を経て未だ右往左往の混迷。
いちばんの被害者は誰なのか? 誰が責任を取ればいいのか?
そもそも責任を取るとはいかなることなのか?

今何をおいても解決されるべきは、生活を破壊された地域の人たちに、
これからはここに代々住んでいていいのだという
生活権を保障することではないだろうか。
地域の振興と生活再建支援法が急がれる。

当初の利水、治水の目的は今も必要なのか、否。
水没地の代替地工事は進んだのか、否。

予算額は2000億から4600億 さらに9000億へと増え続けている。
完成予定の2000年はとうに過ぎた、もちろん本体工事にはかかっていない。

浅間山、白根山は私には故郷でもある。噴煙も温泉の湯煙も目に浮かび、
昔から名だたる地すべり地帯であることが思い起こされる。
ダムはだめなのだ。

徳島でもあちこちで進む公共事業、私の地域でも毎日目にする光景、
南環状線道路の工事によって日々変貌していく園瀬川の姿に心が痛む。

道路は要るのだ、いや要らないのだ、両論どちらを選ぶのか、
住民自身もその議論に参加し、考え、判断していく時代である。
藤永さんの講演からそれを学んだ。

ダム建設が中止になった暁に、
秘境吾妻渓谷をぜひ訪れてみたいものである。

里山の風景をつくる会 理事
地球温暖化を考える-市民アクション2009-徳島代表  八木正江
2009年 11月 13日(金) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より