高樹のぶ子 『百年の預言』  2000年 朝日新聞社

「百メートルをマラソンのようにしか走れない男と、
マラソンを百メートル競争のように全力疾走し、
たちまち心肺が悲鳴をあげてしまう女」の恋愛。

髙樹のぶ子さんの小説『百年の預言』は、1980年代チャウシェスク政権の末期、
つまりルーマニア革命直前の東欧を舞台にくりひろげられる。

外交官・真賀木奏と美貌のヴァイオリニスト・走馬充子の恋の物語であり、
音楽小説ともスパイ小説とも呼べるだろうか。

物語の中で、通奏低音のように流れ続けているのは、
ルーマニアの秘曲といわれる『望郷のバラーデ』である。

この曲は、19世紀後半のルーマニア独立運動の先頭に立って音楽活動をし、
30歳の若さで亡くなったボルンベスクの作曲で、
ルーマニア人にとって特別な曲である。

そのボルンベスクが、『百年後の愛しい羊たちへ』と題した楽譜を残していて、
それが百年後のルーマニア革命を預言していたというのが、
この小説の主題となっている。

25年にも及ぶルーマニアのチャウシェスクによる独裁政治は、
セクリターテという秘密警察によって市民の日常生活の監視を行っていた。
盗聴はもちろん、家族、恋人、友人の間での密告・通報制度は、
人々を石のように押黙らせたのであった。

セクリターテから逃れ、
ボルンベスクの楽譜をもって亡命しようとするオーボエ奏者・センデスの逃避行は、
手に汗にぎるこの物語の前半の山場である。

実際に、この時代にルーマニアからヴァイオリン一つもって亡命した
私の知人のユリウ・ベルトークさんは、
徒歩と自転車で命からがら国境を越えたという。

ドイツの小さな町にたどり着き、辻でヴァイオリンを弾いて、
その日の糧を得る毎日だった。

その演奏が認められて、町の楽団に迎えられるのだが、
ベルトークさんは、今でも町の人たちの温かい心が忘れられないという。

明日27日、ドイツからベルトークさんら五人の音楽家を招いて、
大塚ヴェガホールで「ウルマー・カンマー・ソリステン2008」を開く。

原爆の非情さを表現したベルトークさん作曲の『ヒロシマ』、
そしてルーマニアの秘曲『望郷のバラーデ』。
百年の時間を越えて私たちの魂に響く音楽の魅力に
触れることができるのではないだろうか。

(コンサートは午後2時開演、詳しくは088-655-1616 野口建築事務所まで)

建築家 野口政司   2008年 7月26日(土) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より