大山崎山荘美術館 パンフレットより
なんという素晴らしい眺めだろう。山と川の奥行き感のある風景が目の前に広がる。
谷崎潤一郎が「蘆刈」の中で、大きな川の中州で月を見ていて
謎の男に出会ったのはあのあたりだろうか。
京都の男山八幡、石清水八幡宮のところで、木津川、宇治川、鴨川、
桂川の四つの川が出会い、淀川となって流れ下りていく。
その壮大な景色を眺めながら、
私は昔読んだ大好きな小説のシーンを思い出していた。
天王山の山すそ、山崎は、ちょうど京都と大阪の境にあり、
ポツンと昔のままに残されたような場所だ。
JR山崎駅のすぐ前に、千利休の茶室の完成型といわれる
二畳台目の妙喜庵待庵がある。
西の方へ少し坂道を上がると、藤井厚二の聴竹居が木立の中に
ひっそりとたたずんでいる。
そして、谷川をはさんだ北側の山を登ると、
稜線を生かした変化に富んだ庭園の木々の間に、大山崎山荘美術館が見えてくる。
チューダー様式の大山崎山荘の2階のバルコニーからの眺めは、
その日記録した40度近い暑さと、しばしの間、時の流れを忘れさせるものであった。
この山荘を自ら設計し、建てた実業家の加賀正太郎は、
若き日に訪れたイギリス、ウィンザー城から眺めたテムズの流れの記憶をもとに、
この建築を構想したという。
昭和初期の完成であるので、ちょうど、谷崎潤一郎が「蘆刈」を書いた頃(昭和7年)と
同時代といえるだろう。
その大山崎山荘の姿を最大限生かしながら、
建築家、安藤忠雄がコンクリートの新美術館を増築している。
地中に埋められた増築部分は、「地中の宝石箱」と呼ばれ、
モネの「睡蓮」などの絵画が展示されている。
文化的価値がある建築に対しての再生、増築の好事例といえるであろうか。
私は、本館に展示されている河井寛次郎や
バーナード・リーチ、浜田庄司、黒田辰秋らの作品に心を引かれた。
それらは、このどっしりとした大山崎山荘にみごとに響きあっている。
「蘆刈」の最後の場面、お遊(ゆう)さんの館で、
お遊さんのひく琴の音にあわせて女たちが幽玄に舞う。
その姿が、幻のように私の心に浮かんでくる。
お盆の休みを利用して行った京都は、その夜見た大文字の送り火のように、
ほんの数日前のことが、ずっと昔のことであるような気がしてくる。
ほんとに不思議なまちである。
建築家 野口政司 2007年8月22日(水) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より