”この世の生きものでいちばん危険なのは、建築家だよ。やつらは戦争以上に荒廃に手をかすぜ”

ルノワールに会った日のブレヒトの日記には、ルノワールがこう言ったと記されている。

日本では建築家という概念は必ずしも確立されていないので、ルノワールの言った建築家を建築士、あるいは建築設計者と読み替えてみたい。

確かに日本においても、全国の町の風景を荒廃させている元凶は建築設計者と言えるだろう。どの建物も、小屋などの小さなものを除いて、建築士の資格のない者には設計できないのであるから。責任は重大である。

景観悪化の原因の中には、見苦しい看板や電柱、電線、そして徳島の夜空を汚しているサーチライト光害など、建築設計者以外の要因もあることはある。

しかしそれらは、建築にお似合いとも言えるのである。

建築が真っ当なものであれば、あれほど品のない看板を掛けようとは思わないであろうから。

さて、建築士法を1950年に提出したのは、建築業出身の代議士田中角栄であった。しかも一級建築士のライセンスナンバーの第一号は田中角栄に与えられたという。

その田中角栄が1972年に総理大臣になり、”日本列島改造論”をかかげ、日本国中をコンクリート漬けにしていった。

同時に土建国家のシステムを日本全国津々浦々に蔓延させ、政治資金のルートと選挙の集票マシーンを大小ゼネコンに請け負わせ、政官財学を支配し、キングメーカーとして権力を握り続けたのだ。

建築士はもともと文化や町づくりを担うものとしては想定されていなかったのである。後世、日本の20世紀後半は、田中角栄という怪物的(悪魔的)政治家によって建築家が支配され、利用された時代と呼ばれるであろう。

姉歯建築士の事件も、その暗部が瞬間的に口を開いたと見るべきであろう。建築士(あるいはその妻)の自殺という悲劇を個人的なものとして風化させたり、建築士法の罰則強化で乗り切れるような、そんな単純なものではないと思えるのだ。

どのようにすれば日本の町が美しくなるのか。国民的な議論の中から建築家法といったものを新たに創出し、出直さなければならない時期が来ているのではないだろうか。

建築家 野口政司(徳島新聞夕刊 7月18日付け)