田岡さんと幽明を異にして早2年の月日が往きました。
行きつ戻りつ、田岡さんと関わりのあった誰もが、
この月日を行きつ戻りつして過ごしてきました。
私たち里山の風景をつくる会も然りです。
吉野川の、その上流と下流を結んだ流域のつながりは、
上流に田岡さんがあることで、
どこまでもいつまでも続くのだと信じていましたから、
あの日田岡さんが忽然と姿を消された事態に
放心の状態が続きました。

この2年間、思い出しても思い出しても浮かぶのは
田岡さんのニコニコ笑顔なのに、
同時にまぶたに浮かぶのは独り佇む田岡さんであり、
聞こえてくるのは苦しそうだった息遣い。
なぜに気付かなかったのだろう?
田岡さんの苦しい思いは、
私たちの思いでもあったはずなのに。
それを思うといたたまれず
足がすくんで歩き出せない日々でした。
しかし評伝「森の叫び―嶺北を愛した田岡秀昭 三十年の軌跡」が成った今、
初めて誰もが、田岡さんの叫びを全身で受け止めることで、
悶えの日々から解放され、田岡さんの後を歩き続けようと
決意できたのではないでしょうか。

「森の叫び」はもちろん田岡さんの生きた軌跡そのものですが、
同時に田岡さんを囲んだ私たち自身の軌跡でもあります。
多くの人たちの声をくまなく拾われた編集者の
渾身の努力に感謝せずにはいられません。
田岡さん、偲ぶ会を機に、私たちは再びの道を歩き始めます。
厳しい現実に雄々しく立ち向かい、
あなたが果たしたかった山への思いの数々を、
私たちは万人の力を集めることで
ぜひに果たして行きたいと思います。
ひとつぶ ひとつぶ種は撒かれた
撒かれた種はやがて芽を出す
その時に初めて緑の森の精になった田岡さんの
ニコニコ笑顔に会えるのです
インドの詩人 タゴ-ルの詩にあります
ほんとうの終わりは 限界に到達することにはなく
限界のないものに到達することにある
限界のない広がりに向かってまず一歩を!
田岡さんに続いてまず一歩を!
里山の風景をつくる会
理事 八木 正江