落ち葉がくるくると風に舞い、
秋が終わろうとしている。
7月に急死された林業家田岡秀昭さんが
命をかけて守ろうとした嶺北の森にも、
落ち葉は降り積もっているだろう。
森に明かりをともしたい。
そのために重荷を一身に背負いきること。
田岡さんのその信念を分かち合い
支え合うことができなかったことを悔やむ。
私たちが森の伝道士と呼んだ田岡秀昭さんは
森の守り人としてかけがえのない人だった。
どんなときにも絶やすことのなかった笑顔がそこにある。

山が疲弊し、かく乱の時代を迎え
大資本が参入して皆伐と集成材による山の工業化が進み
山の循環は省みられず山の木が工業製品化していく現実。
そうした厳しい林業の実態があり
ちまたにその荒波が渦巻いていたのに
どうにかなっていくだろうと迂闊にも甘えがあった。
「人口減少が続く源流の森に残された時間は
そんなに長くはありません」。
「里山の風景をつくる会」会報の今年の新年号に
「森の未来」と題して田岡さんは書いた。
その言葉の重さに気がつけばよかった。
厳しい山の現実に直面し、
嶺北スケルトンという規格材の提案を始め
工夫の限りを尽くし、
渾身の力を込めた呼び掛けだった。
わが身は無になろうとも、山は生きよとの
それは最後のメッセージだったのだ。
田岡さんは、吉野川上流の山人と
吉野川下流の町人をつないだ。
四国は一つ、四国の山は一つを揚げる
「四国の森のシンポジウム」の会長であった田岡さん。
シンポジウムは高知、徳島、愛媛、香川を二巡し、
来年はまた高知へとバトンを渡し、
森づくりネットワークを固めつつある。
嶺北の地元で開いた若者塾から、
森の語り人が誕生しているとも聞く。
「唯一、循環を取り戻す価格形成力のあるのは木の家。
構造を見せて使う日本の木の家『里山の家』『里まちの家』なのです」。

田岡さんの意を受け、
森に100年生きた木を使って、
100年保つ家を建て続けたい。
「もっとも美しき森は、またもっとも収穫多き森である」
(アルフレート・メイラー)
これをいちばん望んでいたのは、
未来の森のために命を賭けた田岡秀昭さんだったのだと、
今更にして思う。

八木正江

里山の風景をつくる会 理事
地球温暖化を考える-市民アクション2011-徳島代表

2011年11月24日(木) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より