春を告げ春を寿ぐウグイス。
今年もなわばりの雑木林に帰ってきた。
ケッキョケッキョ、数日後にはもうホ-ホケキョ。
震災からすでに49日、
美声に聞きほれながら、2時46分に捧げる黙祷。

肝心の事は何だろう?
考えて動く。動いてまた考える。
そんな繰り返しの中で、祈りと願いを同じくする人たちと
「脱・原発」への動きを作っていこうとしている。

原発事業者も、事業を国策とした国も、決して責任を取ろうとしない現実に、
それは違う!と前回書き、その後読んだ2冊の本が後押しをした。
一冊は、家人の親しい知人でもある柳澤桂子さん著「いのちと放射線」(ちくま文庫)。
25年前に起こったチェルノブイリ事故直後に書かれたこの本は、
徳島新聞の日曜コラムにも取り上げられていた。
「人間は原子力に手を出してはいけません。
原子力は禁断の木の実です!」と。
生命科学者であり、自らが長い難病に苦しみながら
いのちの重みにひたと向き合ってきた人であるから書けた本である。
40億年の生命の進化の中で、
突然遺伝子を傷つけ生命のつながりを断ち切る放射能、
だから「私たちは何をしようとしているのかということを
宇宙的な時間のスケ-ルでみなければならない。」と言う。

もう一冊は高木仁三郎著「市民の科学をめざして」(朝日選書)。
柳澤さんの言う禁断の木の実とはどういうことなのか?
著者は、巨大な破壊力を持ち、
人類に知られた最も危険な毒物と言われるプルトニウムの正体を解き明かす。
プルトニウムを材料とする原子力発電と原子爆弾は同じ、
あの悲惨な長崎の原爆もプルトニウム爆弾だった。
そして、なぜ日本が、国が支えるプルトニウム大国になっていったのか、
そこから抜け出す道はないのか。あるのだ、と言う。

今、脱・原発を進めるにためは、
エネルギ-のあり方を考えていかなければならない。
地域の中で賄える、自然の力を利用するエネルギ–。
すなわち地熱太陽光、風力、中小水力、バイオマスなどである。
一代前までの人たちが当たり前に使っていたその智恵を生かして、
更に新しい時代の智恵を加える事が出来る。

国が行くべき道がそこにある。
それが、いのちをはぐくむ。
八木正江

里山の風景をつくる会 理事
地球温暖化を考える-市民アクション2010-徳島代表

2011年4月30日(土) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より