「皆さん、もしあなたが、とても理不尽な事によって、
心に深い傷を追ってしまったとして、
その傷心の度合いを数字化することができますか?

私たちは今、直面している廃棄物問題のことで、
損害賠償(慰謝料)請求裁判を起こしています。
そろそろ大詰めです。

裁判官が言いました。
「損害と言うからには何が損害なのか証明しなさい。その証拠を見せなさい。」と。
代理人の弁護士も言いました。
「慰謝料は、一般的に精神的損害の賠償請求権で、
これを原告が立証する責任がある。」と。

”公害調停制度を活用して問題を解決したいです”と
申請人になった468人という多くの人たちのハ-トをパカン!と割れというのですか、
応援してくれた人たちのハ-トもです。
割れたハ-トは語るでしょう。期待がはずれて残念だった、辛かった、悔しかった、と。
紙を何枚使いました、交通、通信費を払いました、検査に費用がかかりました。
それからそれから・・・・
それらを合計して、すべてをカンパで賄った事実に私は粛然としてしまうのですが、
精神的な損害を数字化するのは難しい。

それでも今日までの集大成をどうにか数字にできないものかと、
文殊と菩薩と観音と、憤怒の不動明王も加わって、
この暑々の真夏に頭をひねって考えました。
申請人を集めたあの夏だってひどい暑さだった、
負けてなるものかと思えば火もまた涼しとは至言です。
証拠になりそうな数々の文章や資料を積み重ねて、
費やした私たちの勢力締めていくら? と自問しました。」
以上は、ある日の正直な気持を私たちの会のブログ欄に書いたものである。

毎日のふつうの暮らしを日常とよぶならば、
市民にとって「裁判」を起こして法廷に立つなどということはまさしく非日常。
突然(といっても足かけ3年になるが)非日常の世界に
直面しようとは思いもしなかったのだが、
裁判は問題解決のために市民が活用出来るすばらしい権利でもある。

「関係ないよ」と押しやってきたこの非日常の中にこそ、
混迷を解きほぐしていくカギがあると信じて、
今日も書類の山に向き合っている。
里山の風景をつくる会 理事
地球温暖化を考える-市民アクション2010-徳島代表  八木正江
2010年 8月 27日(金) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より