40年前のことである。
三沢高校のエース、太田幸司投手の夏の甲子園大会決勝、
18回引き分け再試合という手に汗にぎる熱戦を見た。
受験勉強に明け暮れていたそのころの私には、
同い年の太田幸司投手の活躍がとてもまぶしかったのであった。

大学に入った私は、
身体検査のときにアメリカンフットボール部への入部を強くすすめられた。
高校での経験者がほとんどいないアメフトならレギュラーに必ずなれるし、
国立大学でもこの競技なら日本一にもなれると。

しかし、私は硬式野球部に入ることに決めた。
アメフト部への入部をすすめてくれた先輩のみけんに、
大きな三ヶ月形のキズがあったこともその理由ではあったが、
何より太田幸司投手のさわやかな笑顔が忘れられなかったからである。

太田幸司投手のようにグランドで美しい汗をかくんだ。
しかし私のその淡い期待はもろくもはずれた。
同志社大学との試合に外野手として出場した私は、
エースで4番の田尾安志投手との対戦を楽しみにしていた。
けれども田尾選手は試合に出ず、控えの一年生投手が先発であった。
それなら田尾選手を引きずり出してやろう、なめたらいかんよ・・・。

結果は、甲子園大会で投げたというその一年生ピッチャーに軽くひねられてしまった。
三球三振であった。
野球の神様は、太田幸司投手のように優しく微笑んではくれなかったのである。
いや、野球の神様はこんな試合など見ていなかったに違いない。きっと。

さて、野球の第2回WBC世界大会で日本が優勝した。
決勝戦の相手は、今大会で2勝2敗と実力伯仲の韓国。
同点でむかえた延長10回表、二死二三塁で打者はイチロー選手、
ピッチャーは韓国の守護神、林昌勇であった。

林投手は真向勝負を挑んだ。
日本代表のシンボルであるイチロー選手をねじ伏せて世界一になるんだ。
イチロー選手はその挑戦に応えた。
糸を引くようなライナーが林投手の頭上を越えていった。

野球の神様が降りてきたみたいだった、とイチロー選手は振り返っている。
天才と呼ばれるバッターも今大会では深く長いスランプに苦しんだ。
それは、最後の最後、このシーンをより感動的に見せるために、
野球の神様が仕組んだことであったのではないだろうか。

野球の神様は、ちゃめっ気たっぷりのなかなかの演出家であるのかもしれない。

建築家 野口政司   2009年 3月 27日(金) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より