「病醜のダミアン」  舟越保武 『巨岩と花びら』 筑摩書房より

五年前に、八十九歳で亡くなった舟越保武氏は、戦後日本を代表する彫刻家であった。

「長崎二十六殉教者記念像」や「原の城」など、精神性にあふれた宗教的作品で知られている。

前者はキリシタン弾圧で処刑されたキリシタン二十六聖人の像である。二十六人が今まさに天に昇ろうとしている時の姿を彫刻に刻みとっている。

「原の城」は、天草の乱で全滅させられた三七〇〇〇人のキリシタンと農民たちへのレクイエム(鎮魂歌)で、かぶとを付けた武士のやつれた立像である。埴輪(はにわ)のように目と口に穴が開けられていて、人間の内面をのぞきこむかのような作品である。

作家自身がいちばん気に入っていたのは「病醜のダミアン」である。

ダミアンは、ベルギー人の神父で、三十三歳の時にハンセン氏病の人たちが隔離されているハワイのモロカイ島に自ら志願して赴任した人だ。

神父が患者たちにいたわりと同情の言葉をかけても、誰も聞いてくれない。「貴方達、癩者は」と呼びかけても彼らの心に響かないのだ。

ダミアン神父は、それでも患者たちの生活の世話と治療を続けた。十年たったある時、足に熱湯をこぼしたが熱さを感じなかった。顔や手にその病の兆候が現われた時、彼は初めて患者たちに、「我々癩者は」ということができた。
ダミアンの悲願であった、患者たちへの言葉がやっと通じたのだ。

このダミアン神父の残された写真を見た舟越保武氏は、恐ろしい程の気高い美しさを感じ、その像を作ったという。

これ以上崩れることはないと思われる顔の中に、美醜を超えた強い気品を覚えさせる彫刻である。

 

さて、舟越保武氏は、文もよくできる人で、『巨岩と花びら』という画文集がある。その中に、東京芸大の最終講義をまとめた「すきやき」と題された文章が出ている。

洗うがごとき貧しさの中で、二晩徹夜で彫り上げた石像を画商の所へ持っていく。やっとのことでお金をもらい、女房と六人の子供にすきやきを食べさせる話である。

芸術家の卵たちに、あえて貧乏話を贈り、あせらず気ながに制作を続けることの大切さを伝える名講義であった。

学生たちにしっかりと向かいあっていた舟越保武氏の姿が偲ばれる。

その腹をすかせて待っていた六人の子供たちの中のひとりが、現在最も注目される彫刻家で、独特の彩色木彫で現代人の孤独を表現する舟越桂氏であった。

建築家 野口政司  徳島新聞夕刊2007年6月6日 「ぞめき」より